日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

均衡ぢゃ

・二月の『天はすべて許し給う』につづき、女性問題を取りあげようと思ったのと、チラシにも書いたように、スエヒロさんへのリスペクトとして「宇宙」を描こうとした結果、このような作品が生まれた。思いのほかエンタメで、思いのほかシンプルな内容になった。話のスケールの大きさと、スズナリという小屋に乗せることが無意識に反映されたからではないかと思っている。
・若松さんが妊娠して夕沈さんが産まれるというアイデアは最初からあり、それは必然的に男性社会を転覆させる展開を招いた。冒頭十分ほどは書いていても不快だったし、多くのお客様もつらかったと思うが、あれは自分にとってデフォルメされた「男性社会」である。ファンタジーだが、ああいう男性たちはいる。現実にいる。それと戦うための導入部であり、あのなかでも強く生きるチセという女性を描くには必要なものだった。川添さんが登場した瞬間に物語が動き始め、これが女性の物語であることがあきらかになる。「物語性」とは必ずしも目に見えぬものではない。
・性的な表現を扱うことには慎重に行きたかったので、寺十さんと議論は随分した。男社会が滅ぼされる話で、滅ぼされるべき男の感覚で性が扱われることは避けたかった。とはいえ自分も寺十さんも「男」である。どこか限界はあるはずで、ご覧いただいた方にはぜひご意見をうかがえればと思う。
・蓋を開けてみると作品の真価を理解してくれた女性は多く、その点に関しては安堵した。千穐楽、観に来てくれた吉村元希さんが声にならぬほど泣いているのを見て、これを作って本当に良かったと思った。男性のご意見では友田健太郎さんのものが深く、自分にとっては本望だった。寺十さんも感謝していた。真の批評は、批判であれ好評であれ、作り手にもかならず何かを還元する。価値ある言葉を生み出すという点において批評家もまたクリエイターなのである。
・次何をやるか、企画自体は決まっているのだが、中身は漠然としか考えていない。ひさしぶりに家族の話をやる、それくらいである。演出は自分なので、地に足がついた内容になるだろう。時期は四月、情報公開は来月である。
・稽古中から本番に到るまで、本作を巡っては不思議なこと、不吉なことがいくつも起きた。そのたびに自分が試されるような気持ちになった。スピリチュアルな意味での「闇」に落ちないようにすること。その人との絆を疑わないこと。たとえ伝わらなくとも愛情を決して失わないこと。人を信じることをやめないこと。抽象的で恐縮だが、そんなことばかり考えていた。なんの宗教にも属していないが、宗教にすがらず、こうした問題に向き合うのには、たいへんな精神力がいる。その一助に虚構がなれたらと思う。こんな物語を書いている男が存在するということが、どこかの誰かの心の支えになってくれたら言うことはない。
・ご来場ありがとうございました。1741名のお客様に心から感謝いたします。