日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

幻滅

・平熱が五度五分程度の自分としては、六度六分は充分微熱である。頭痛もひどい。今日はミサイルが飛んでくるかもしれず、終日家でおとなしくしていようと思う。
・月刊シナリオの5月号が届けられ、新人シナリオコンクールの白坂依志夫による選評にわが目を疑った。

 山田太一氏が、どこかに書かれていたが、最近のドラマがつまらないのは、アニメの氾濫にある、という趣旨で、これには私もまったく同感である。
 アニメの登場人物には、作者の力量はほとんど不要だ。造型なんてどうでもいい。奇怪な人物が、不快な音響と、きたならしい絵の中を走りまわる。お話は思いつきの連鎖反応、切片淫乱症風に末梢神経をシゲキするだけだ。
 クドカン氏の影響もあるのかもしれない。
(月刊シナリオ09年5月号・p57より)

・元となった山田さんの発言を知らぬので、このような趣旨であるかどうかは不明だが(ある方によると、近年のテレビドラマは漫画原作が多く、演技も演出も漫画のように過剰気味になっているとの趣旨だそうで、アニメとはなんの関係もないらしい。ちなみに山田さんはかつて『カリメロ』を書かれていたことがある)、明白なのは白坂さんにはアニメの知識もないし、まともに見てもおらず、単なる偏見だけでこれを書いているということである。アニメの世界が相当に多様で深化していることはもはや常識以前だが、その常識がない。そもそもなぜドラマの不振がアニメの氾濫によるのかがまったくわからない。アニメとクドカンが同一視されるのもよくわからない。要は杜撰な論理で、知識による裏づけもない妄言である。テレビドラマの不調は、視聴率という物言わぬ評価軸にふりまわされ、何が良く、何が正しく、何が面白いかが見失われた結果であって、そんなことは現場を少々のぞいた人間なら誰にでもわかることである。つまりこの人は現実を知らぬ。現実を知らぬまま現実にもの申している。笑止! 老害とはこのことだ。
・『巨人と玩具』、『盲獣』、『野獣死すべし』、自分はかつてこの人の書いたこれらの作品を見て、映画が時に原作を超えることがあるのを教えられた。老いたり、白坂依志夫。その名に憧憬を抱いた昔日がむなしい。