日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

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shelf「私たち死んだものが目覚めたら」@アトリエ春風舎。ベンチが一台置かれただけの素舞台に近い美術、イプセンの戯曲は実に地味な内容であるにもかかわらず、あたかもスペクタクルを見せられたかのような緊張と興奮。俳優の力量と演出の勝利である。堪能した。演出の矢野さんには「暗黒地帯」をごらんいただき、このような感想を頂戴したのだが、自分としてはあれはまさに作家として作家の舞台を作ったに過ぎず、演出家として愚直になれなかったこと、あるいは演出家になりきれなかったことこそが心残りである。というのは脚本家としての仕事を通じ、書き手が書き手の作品についていちばん理解しているとはかぎらないことを知ってしまっているからで、有能な演出家によって自作の器が何倍にも大きくなる快楽もまた知ってしまっているからである。つまり自分で自分の作品を演出するのはまことに味気ないことなのだ。俳優の解釈に期待したりもし、そして俳優たちはその期待に応えてくれもしたのだが、俳優は俳優で自分のあらたな可能性を演出家に引き出される快楽を期待しているわけであり、双方の欲求不満が高じて稽古場で齟齬が生じることもあった。やはり本来作家と演出家は分業であるべきだと思う。映画ではやたらと監督が持ち上げられるのに、演劇界、特に小劇場界ではなぜか「演出家」が屹立せず、作と演出がイコールで当然と思われている。単なる先入観、既成概念ができあがってしまっている。そういう意味で、演出家としてどこまでも愚直な多田さん中野さんや矢野さんには大いに活躍してほしいし、やがて自作を演出してくれる優秀な才能が、あたりまえのように目の前に現われてくれることを願う。
冨澤良子の図書館日和イベント武田浩介の乱入が決定。なんでもガールズイベントだそうなので、浩介はセクハラを控えるように。しかし本人も書いてるけど、奴はますます正体不明になりつつあるな。草森紳一平岡正明も亡きいま、衣鉢を継ぐのは浩介しかおるまいて。マジで。