日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

あれやこれや2

・些末な仕事が多くて原稿が進まずイライラする。薬を飲みたいが、飲むと眠くなって仕事にならないので飲むに飲めず、余計イライラ。
・『バケルくん』が届いた。通読して爆笑。バケルくんの父親の財布は底なしで、多量にいくらでも万札が出てくるという設定があり、けっこうな数のエピソードが金で解決される。この身も蓋もなさが良い。ここには「子供の夢」なんていう甘っちょろいものはなく、苦い現実に裏打ちされた大人の奇想がある。
・仕分けが話題だが、安全保障、教育、科学技術に芸術関係、民主党がやろうとしていることが日本の弱体化であることは明々白々である。そんな暴挙を国民の九割が支持しているという。どんな人間が支持しているのか知りたいが、そもそも利口だったら民主党には投票しないので、きっとそうでない人たちなのだろう。蓮舫議員の高飛車な態度はいまにはじまったことではない。そのむかしテレ朝深夜に「プレステージ」という番組があった。「朝生」が当たったので気を良くしたテレ朝が、月〜金の深夜にディスカッション中心のバラエティをはじめたのである。小林よしのり江國滋と大喧嘩したり、竹中労がレギュラーで出てたりと、たまに面白い番組だったが、蓮舫は司会のひとりであった。自分の意見にミソがつけられるとすぐ鼻が上を向く。プライドが高いというか、負けず嫌いというか、なんにしても政治家、ひいては権力者にしてはいけないタイプである。あの高圧的な態度は国家のためか、自分のためか。答えはあきらかであろう。官僚機構の腐敗に立ち向かうヒロイズムに酔っている風だが、いまや自分こそが権力者であるという自覚が足りない。もはや自分たちこそが「体制」であるのに、いまだに反体制ぶっている団塊世代のおっさんらとおなじである。権力の横暴は権力のなせる業ではない。権力者の自覚がない愚か者のなせる業である。
映画評を寄稿しました。これ書いたあとで、なんだか物足りない気分にさせられるのも「性」を扱ってるからだと気づきました。プロットが入り組んでるわりにはドラマはシンプルで、それはむろん長所でもあるのですが、もっと陰影をつけられそうな気もします。でもおそらく「性」を扱ってなければ、そんな気分にはならなかったと思う。性はいろいろなものを屈折させるのですね。面白い。