日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

一揆、本日から

・『映画一揆 井土紀州2010』が本日からユーロスペースにて開催されます。これ書いてるのが21時すぎですが、初日の『百年の絶唱』、大入り満員につき急遽二回上映が決定したとか。あれの初公開もユーロでしたが(場所は変わったけれど)、やはり大入り満員で、自分は立ち見でした。井土さんの才気は当時から歴然で、こうして知遇を得られたのは望外の喜びです。
・今回は旧作と同時に新作三本が公開されますが、ひと足先にサンプルDVDをいただいて拝見することができました。自分は最近「おまえの書くものは変わって来た」と言われることがよくあるのですが、僭越ながら井土さんもまた変わろうとしているのだと感じました。これはすでに『行旅死亡人』でも見られた兆候でしたが、今回の新作三本は井土さんの今後を明確に示唆する内容になっていると思います。
・『土竜の祭』『泥の惑星』『犀の角』、三本とも共通しているのは、テーマ、ストーリー、キャラクターが明瞭で、曖昧なところがひとつもないということです。『ラザロ』以降、井土さんの作品が一貫してそうであるのは事実なのですが、加えて、なんというか、表現者としての余裕のようなものが感じられるのですね。要はプロフェッショナルなのです。こうした手練の技術がインディーズの現場で発揮されていることをどう受け止めるかが評価の差異を生むことになると思いますが、あるべき作品が誠実に作られ、生まれるべき作品が備えているはずの強靭な必然性が感じられるという点において、自分は全面的に支持します。
・もうひとつ、『土竜の祭』のシナリオは十数人の連名、『泥の惑星』は天願大介氏、『犀の角』は川崎龍太君のシナリオで、井土さんはあくまでも「監督」として立とうとしているのだということです。大森美香さんもそうですが、脚本家出身の監督が人のシナリオで作品を撮っているのを見ると、それだけで感心します。脚本家という種族が厄介なものであることは脚本家がいちばんよくわかってるはずだからです。にもかかわらず彼らはやる。本気なんだなと思うのです。
・そういう次第で17日水曜日、『ラザロ/朝日のあたる家篇』上映後のトークセッションに登壇することになりました。お題は「(実録)社会派作劇入門」。どうなることやら。ご来場、お待ちいたしております。