日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

そうか、もうおまえはいないのか

・日曜の午後、荼毘に付した。霊園までの車中、ずっと遺体を撫でていたが、もうほとんど骨と皮だった。もともと3.9キロあったのが、最後は1.3キロくらいになっていた。体重が半分になったときが生死の境だそうで、この状態で生きているのはすごいことだと獣医さんも驚いていた。生命力と利発さは最期まで衰えなかった。
・骨を拾うときよりも、やはり帰宅したときが応えた。寒々しいと書いたが、それは文字通りそうで、猫がいるかぎり夏冬はエアコンをつけっぱなしなので、いないとなると実際に部屋は寒くなる。心身ともにやられてしまい、とても参った。
・そんなとき、突然友だちから電話がかかってきた。てっきり猫のことで慰めてくれるのかと思いきや、何も知らずにかけてきたと言う。それから五時間話した。これには救われた。翌朝には北米アマゾンから『グーニーズ』と『ヘザース』のBDが届いた。自分で注文したものだが、このタイミングでは猫からの励ましの贈り物のようだった。その夜は『グーニーズ』を見て沢山笑った。笑うことができた。
・猫はほんとうに神秘的な生き物で、その周辺ではあたりまえのように不思議なことが起きる。良い意味でもそうだが、悪い意味でもそうだ。前の猫の闘病時は『恋風』と『予言』の作業真っ最中で、亡くなった当夜は『予言』の参考にホドロフスキーの『エル・トポ』を見ていた。それが去年は夏頃から渋谷で『エル・トポ』のリバイバル上映がはじまり、ロングランになり、ツイッターを見ていれば上映情報が流れてくるし、アマゾンに行けばホドロフスキーのボックスをすすめられるしで、正直かなり不吉なものを感じていた。年明けには突然『ふぞろいの林檎たち3』の再放送があった。中井貴一中島唱子が道を外してしまう場面には圧倒的な説得力があり、『恋風』で耕四郎と七夏が一線を越えてしまうくだりの参考にしたものだ。単なる偶然とお笑いいただいてかまわないが、自分はけっこうこういうことはあると考えている。不気味ではあるが、天から覚悟をもとめられているようでもあり、数日前からその日の準備をはじめていたし、前の猫のときほど取り乱さずに済んだ。
・あかるい映画、たのしい映画が見たいと書いていたのは、『エル・トポ』の厄を祓いたかったからなのだ。陰惨な映画は見たくなかった。愉快な猫だったから、愉快な気分のなかで送ってやりたかった。とりあえずそれは果たせた。念のため、こういうこととは無関係に『エル・トポ』は素晴らしい作品で、ホドロフスキーは偉大な監督です。一見をすすめます。
・あと、安藤さんが「節分までは厄年だ」とツイートしてたのも不吉さを増してくれた。後厄の終わりに猫は逝き、その後に自分は血尿を出した。また石らしい。だからこういうことってあるんだよ、ほんとに。それにしても嵐のような三年間だった。やりすごせたのは猫のくれた幸福のおかげである。自分がどれだけ生きられるかわからないが、残りの人生をかけてこの恩を返す。ありがとう。ありがとう。ありがとう。外に出るたび、好天に向けて感謝を捧げている。