日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

愛猫が逝く

・本日午前二時半に逝ってしまった。昨秋あたりから調子を崩し、年末から介護状態だったので覚悟はしていたのだが、いざ逝かれてみると放心状態で涙も湧かぬ。いまはただ寝たくない。起きて、あれがいないことの悲しみに耐える自信がない。
・利発で手のかからない猫だった。顔は愛くるしく、性格にはユーモアがあった。もともとは南砂緑道公園の物置の下にいた野良で、前の猫を預けてある動物霊園に行く道すがらに出会ったのである。当時はまだ肥っていて、どこかふてぶてしさも備えていた。前の猫を失った悲しみが大きく、拾うことには躊躇があったが、自宅で看取るつらさにくらべれば野垂れ死にさせるつらさの方が大きい。2005年の元旦に一念発起して自宅に連れてきた。
・拾った当時、ボランティアのおばさんに言われたことが忘れられない。
「お兄さん! 猫は良いことあるよ!」
 その日一度きりしかお会いしたことのない方だったが、そう言って自転車で颯爽と去っていったのだった。なぜ忘れられないかと言えば、その言葉が的中したからだ。あれから六年、自分には良いことしか起こらなかった。かけがえのない仲間が出来、友が出来、充実した仕事が出来た。それはすべてこの猫が自分の人柄を変えてくれたからだと思っている。アユム君は「高木さんは笑顔がデフォ」だという。かつての自分は仏頂面がデフォだったのだ。こんな小さな猫一匹が人間を変え、日常を一変させた。幸福な毎日だった。
・昨秋から今日まで、主に芝居関係で不義理をかけた皆様にお詫び申し上げます。井土さん、『ピラニア』見に行けなくてすいませんでした。仕事関係では『』のスタッフに心から感謝いたします。中村監督がスカイプのような利器を率先して取り入れる方であったため、独り身の自分でもどうにか猫の面倒を見ることが出来ました。そしてご心配とお気遣いをいただいたすべての皆様に感謝を。本当にありがとうございました。
・画像は現在のマンションに越してきたころのもの。遺影にする。もともとは弟が結婚して住むはずだったものを、婚約が流れたので「兄ちゃん、どうだ」と促されて越してきたのだ。「二人じゃ狭いけど一人だと広すぎんだよな」と弟が言っていた部屋は、一人と一匹にはちょうどいい広さだった。この六年間、猫中心の生活だったので、孤独に慣れない。どこへどれだけ出かけるのも自由になったのに、どこへも出かける気にならない。あれのいない寒々しい部屋に帰ってきたくない。