日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

本を読め、空気を読むな

・書店員時代、態度も悪く物言いも横暴な女子高生のグループがいて辟易していたのだが、集団だと横柄な彼女たちも、ひとりになると突如として頼りなくなり、まともに口もきけなくなるのが不思議だった。あるいはよく買い物に来るヤクザがいて、ひとりだとおとなしい彼が子分連れだと途端に暴力的になり、やたらとからまれたりからかわれたりして不愉快な思いをさせられたのが不思議だった。ようするに彼らは弱く、自分に自信がなく、孤独であることが不安で、友や仲間(と彼らが考えている人たち)とともにいると気が大きくなり、「ひとりでない自分」を見せつけたくなるのだとわかったが、集団が暴走するってのはこういうことだよなと空恐ろしくもなったのだった。彼らの不安や孤独の底が深ければ深いほど狂気が爆発する度合いも激しい。
この事件も、借金のカタに橋から突き落とされた少年の事件も、綾瀬の事件も、まちがいなくこうした心性がはたらいた結果の悲劇だと思う。学校も実社会も集団主義を捨て、個人主義を徹底すればある程度は防げるような気もするが、現実的にはそんな世の中になるのは遠い先の出来事だと言わざるを得ない。対処としては傷つきやすい人間には近寄らぬこと。主犯の少年は上村君が人気者だったのが妬ましかったらしいが、俺の高校時代にも「人気者はムカつく、おまえが人気者になったら許さない」などと言っている奴がいて、なんで人気者がムカつくのかわからないし、人気者になどなる気はないし、こちらも若者だったが「若い人ってたいへんなのね」と相手にせず、図書館で本を読んでいた。それでも向こうが近寄ってくる場合は学校に行かないこと。小中高時代は学校が世界のすべてであるような気になるが、実は狭くて小さな世界であるのを知ること。そんな世界で汲々としているバカは放っておいて、広い世界に目を向けること。そのためには知見を身につけること。つまりは本を読め、空気を読むなということ。
・所詮人生はバカとの闘いである。口喧嘩ならともかく命までとられたらかなわない。断言するが、上村君はじめこの手の事件の被害者は皆「大人」だったのだ。大人の態度で接しようとして命まで取られたのだ。バカはバカだからこそそこまでできるのだ。そんな連中に優しく紳士的に接しても仕方がない。
・ならばここまで追いつめられた場合どうすればいいのか。マジギレすること。相手の人格など考えず、遠慮も容赦もなく、後先も考えず、ねちねちと、陰湿に、相手の心を殺すつもりで真剣に心の底から怒ること。そうすれば君は孤独になるかもしれないが、命までは取られないだろう。そして前ほど孤独をおそれなくなっているはず。
・群れなければ強くなれない人間は軽蔑して良い。ひとりで立てる人間であって初めて本当の友や仲間が出来る。当たり前のことだが、こんな言葉が通じない人もいる。信じられない人もいる。一方で、こんな言葉を求めている人もいるかもしれない。だから書いてみた。バカのために自分の人生を犠牲にする必要はない。