日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

詩才、詩心

スズナリの下にあった古書ビビビが、店舗を拡大してリニューアルオープンしていた。寄れば必ず散財することになる魔の古本屋だが、きのうもワイルド『アーサー卿の犯罪』(中公文庫)と鮎川信夫『近代詩から現代詩へ』(詩の森文庫)が出ていたので迷わず購入。鮎川の本は明治から昭和にいたるまでの詩人と詩作を概観するものである。
・自分は詩才もなければ詩心もない人間で、したがって詩全般に対する関心も希薄なのだが、かといって無関心のままなおざりにできる世界でもなく、そういう者には恰好の書物であるように見える。知っている人から知らない人までにぎやかだが、なかでも河井酔茗という名前だけは目にしたことのある人の「魚の血」という詩が気に入った。詩人の思考回路、発想回路がまったく理解できない自分にも、これはなんとなく「わかる」ような気がしたのである。同書p32〜33よりルビを省略して引用する。

腥い。
生きた魚と、乾いた魚の臭ひ。
臓腑が腐る。
大きな魚の頭を切つて、二人して重さうに担いで来る。
赤い血が土の上に滴つてゆく。
脂肪が光りに溶解ける。
骨が見えて居る。
海の汐が血になつて、
魚の頭から落ちて居る。
土が吸ふ。
日が吸ふ。
人が吸ふ。

・鮎川は「主観を離れた即物性」と書くが、それが実に心地よい。ここには事実しか書かれていない。ああ、ようするに自分は言葉の向こうにあるものが好きで、言葉そのものが好きなわけではないから、だから詩がわからないのだと気づく。
・ところが酔茗の名で検索をかけると、かならずしもこういう詩ばかりの人ではないのだとわかる。特に「ゆずり葉」という詩は実に道徳的な内容で、多数の学校で教材にされているらしい。ここで紹介されてる詩も比較的穏当なものだし、他の詩を読みたくともほとんどが絶版状態、けっきょく図書館頼りか。またひとつ好奇心に火がつけられた。