日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

不良性感度

因幡屋通信さんは「暗黒地帯」以来うちの芝居を見てくださり、毎回丁寧な感想をアッブしてくださっている。単なる批判ではなく常に前向きなご提言で、今回もまたそうで有り難いかぎりなのだが、いつも結論がおなじなので、さすがにひとこと申し上げておきたいと思う。
・といっても、それは反論というほどでもなく本当に一言で終わってしまうもので、因幡屋さんは自分がなにか真面目な芝居を作ろうとしていると勘違いされているのではないかということだ。自分はあくまでも通俗作家であり、作っているものはエンターテインメントである。娯楽作品において悪が滅びるのは鉄則であって、どれだけえげつない話であろうとその一線さえ守ればいいのだということを教えてくれたのは石井輝男の作品群だった。ただし自分は「正義の味方」や全き純粋な人間の存在など信じていないので、悪が悪を滅ぼし、狂気が狂気を倒す展開を好む。そういう展開に燃える。
・劇団時代に自作を「勧善懲悪」だと発言したこともあるし、そんなことなどつゆほど知らぬはずの今里真君から「高木さんの作品、勧善懲悪入ってますよね?」と言われたこともある(クレバーな役者だなあと信頼がいっそう深まった)。だが正確には「勧善懲悪」ではなく「勧悪懲悪」なのだな。この屈折を理解してくださるのは、だいたいがエンターテインメントに造詣の深い方ばかりである。因幡屋さんがそうでないというのではない。きっと作品に対する構え方がちがうのだ。これは江森盛夫さんの批評も同様である。
・一方で自作が非常にマージナルな個性を備えていることも理解はしているつもりで、たとえば「不滅」などはまさにそんな作品だった。ああいう系統のものは評価が割れる。真面目な作品かと思いきや終盤近くでああいうことになるからで、それを面白いと思うか「なんでこうなるの」と思うかの違いである。根元歳三君は見終えた後で「メチャクチャ面白い! 悪の組織とダークヒーローの誕生の物語じゃないですか! シャマランじゃないですか!」と興奮気味に語ってくれた。作者的にはパーフェクトの解釈であるが、それが通じた方は全観客中二、三人だろう。拙作はそういう意味で「わかりづらい」し「難しい」。
・自分が見てきたようなジャンル作品を軽蔑されている方も多いので、そういうものがダメだったら自作もおそらくダメかと思う。だから寺脇研さんのこの言葉はうれしかった。ようするにこういうことだよなと自分の出自を再認識して次に向かう力となるお言葉だった。