日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

一年

・あっという間だった。体感はまだ半年くらいだろうか。
・あの日は午前中に整骨院に行って、その帰りにいつも楽しみにしていた野良猫の様子見に行った。ところが顔は可愛いが愛嬌のない猫が一匹日向ぼっこをしているだけで、いつも遊んでいるはずの子猫の姿が見えない。不思議に思って帰宅し、国会中継を眺めながら、そろそろ『C』の最終話に取りかかろうかと思っていたところへ、あの地震だった。廊下の本棚がすべて崩れて、玄関に出るのに夕方までかかった。それでも自宅で幸いだった。ちなみに上記の猫どもはいまでは我が家の飼い猫である。
・こんな地震でも電気は切れないんだなあと感心しつつテレビをつけっぱなしにしていたが、やがて届けられた被災地の映像は衝撃だった。しかもあれだけの大事が終わりではなく始まりにすぎなかったのだからまさに国難である。あれから日々被災地を思い、やがて来る首都圏震災を思い、自分の生き死にについて思いを馳せている。おたおたするな、死の覚悟を持て、されど最期の時まで生きることをあきらめるな。それが自分の結論だ。
・幸福なかたちであろうが悲惨なかたちであろうが、いずれ死は訪れる。あの日悲惨なかたちで失われたすべての命の冥福を祈る。われわれもまたやがては消えゆく。黙祷。