日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

飛び出すジャージャー・ビンクス

・『ファントムメナス3D』と『ヒューゴの不思議な発明』をハシゴ。『ファントムメナス』は史上最大のがっかり映画だったが、どこに問題があったのかを再検証するつもりで見た。
・細部へのこだわりが素晴らしいので、見ていてまったく退屈はしないのだが、当時と今回とでまったく印象が変わらないのは「クワイ=ガン・ジンがバカに見える」ということ。見ているこちらはアナキンがダース・ベイダーになるのはわかっているわけだから、クワイが熱心にアナキンをジェダイに入れたがるのが愚かに見える。これが若きオビ・ワンが「あの子には可能性がある、ジェダイにしましょう」と熱心になり、クワイが「いや、あの子の未来は見えない、もっと慎重になれ」と諭す展開なら腑に落ちるのである。アナキンが特殊な能力を発揮していないうちからクワイが目をつけるのもいくらジェダイとは言え不自然だし、アナキンの超能力的見せ場は前半に用意しておくべきだったろう。
・くわえて今回あらためて感じたのはアナキンの母親の描き方で、非常に貞淑な人物なのだが、だからこそ年端もいかない我が子をあんな危険なレースにほとんど抵抗もせず素直に送り出すのに違和感を覚える。あれがどうしようもない母親で、「おまえのおかげで人生が狂った、おまえなんざいなくなればいい」と日頃からアナキンをなじっているような人間なら良い。けど内心心配だから物陰からそっとレースの様子を見守っているような。ここまで良い母親だとアナキンがあっさりクワイについていくのもおかしいし、とにかく意志や知性が感じられないのが困る。あとクライマックスでアミダラが先頭切って殴り込みをかけるのがやや唐突に感じられるので、タトゥイーンで彼女のアクション的見せ場を用意し、クワイやオビ・ワンが驚いたり感心したりするところを描いておけばよかったのにと思いました。
・極東の木っ端脚本家が偉そうで恐縮だが、たぶん上記のポイントを調整すればだいぶ印象の違う作品になったはず。それができなかったのはルーカスが偉くなりすぎたからで、新人や無名の人間に対してはやいのやいの言うくせに偉い人には何も言わなくなるのはどこの国でもおなじなのだろうか。だが『ヒューゴ』の端正さ、破綻のなさを横に置くと、それは単純に才能の差であるような気がしないでもない。大作規模の小品佳作だが、スコセージの新境地に素直に感心した。