日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

このところ

・メンタル的に不安定で前向きな気分にならない。体調も悪い。仕事をやる気にならず、PCの前に座っているだけで一日が終わる。
・仕方ないので本でも読む。河出文庫から山田太一のエッセイ・コレクションが出ていて、先日発売された『その時あの時の今』は副題に「私記テレビドラマ50年史」とあるように、山田さんの大船時代から全盛期の回想が主で面白くないわけがない。
・御多分に洩れず山田さんのドラマのファンである。自分より年が上の脚本家で影響を受けていない人はいないと思う。台詞って面白いなあと思ったのは山田太一ファーストガンダムが端緒だ。とはいえリアルタイムで見たのは『ふぞろい』や『早春スケッチブック』からで、『岸辺のアルバム』や『想い出づくり』は再放送で見た。あれは中三か高一の夏、午前中に『岸辺』の再放送が始まり、どうしても出かけなければならなくて第一話が見られなかった自分は、ビデオを持っていた友人に拝み倒して録画を頼んだが、そいつは面倒くさがって首肯してくれなかった。二話から見るのは主義に反するので、このときの再放送は見逃すしかなかった。こういうことは一生忘れない。先般発売されたDVDは当然買った。その他の作品も『ふぞろい』以外はすべて揃えた(1と2しか出てないから)。CSの放送も目につくかぎり録画している。
・本書に「父親の目」という一篇がある。同業の田向正健さん(深川高校の先輩である)から、あなたは父親が死んでから書くものが変わった、猥雑になった、説教くさくなったと言われ、そんなことを意識したこともなかった山田さんは、なるほど、確かに父親の死後に書いたドラマは浮気や強姦を扱ったり(『岸辺のアルバム』)、主人公が人生について語ったり(『男たちの旅路』)している、無意識に父親の目を意識していたかもしれないと思う。

 父は、実にいろいろな苦労をして、一生を終えた人である。明治生まれのたくましさを、私は事ごとに感じ、自分の体験の浅さ、人間を見る目の軽さを、父と逢うごとに感じていた。
 すると、やはり「人生はこうだ」とか「人間はこうあるべきじゃないのか」というような、きいた風なことは、ドラマに書けないのである。「なにをいっている」と父が苦笑するのではないか、という気持が、どこかにあったのである。亡くなって、書くようになったらしいのだ。
(同書p45より)

・それを読んで、自分の芝居が猥雑でかつ家族について触れることが多いのは父親を知らないせいかもしれないなあと思ったという、ただそれだけの話である。父と行き来があったらすこしは書くものも変わっただろうか。
・ちなみに母とは行き来があったが、距離があるので普通の感覚とはちがうだろう。この章は「親というものは怖いものだ、と、いまは三人の親になっている自分について、ふりかえる思いでいる」という一文で終わるが、親もなく親でもない自分も我が身を振り返っている。次の芝居は四姉弟とその長女の子供の三兄妹の話である。崩壊した家族をさらに崩壊させようとする人びとの物語だ。