日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

二度目のトライアル

・マキタカズオミには『昆虫系』からうちの芝居を観てもらっている。いつも感想のメールをくれて、たいがいホンは褒めてくれるのだが、こちらの演出にはダメが厳しい。俺に演出やらせろとも言う。じゃあやってくれと言ったのがそもそもの始まりである。基本自分は作家であり、人に演出をお任せするのはたのしい。願ってもないことだった。
・当初は合同公演というかたちを考えたが、「なぜいまやるのか」「鵺的にとってどういう意味がある公演なのか」、そこらへんをもっと考えるべきだと周囲の人びとから疑義を呈され、なかなか実現できずにいた。三人のストーカーが共謀して三人の女性を狙うというストーリーの素案はすでにあり、タイトルも『天はすべて許し給う』と決めていた。
・『フォトジェニック』が好評で、座組の結束も固く、今後のトライアルはこの女優陣を劇団のような扱いにしてつづけたらどうかと提案したら皆乗ってくれたので、マキタカズオミを演出に迎えて『天は』をやろう、第二弾はそれだと決めた。さすがに今回は誰からも疑義は出なかった。『フォトジェニック』の四人に加えて、elePHANTMoonから江原さん、お久しぶりの小西君に酒巻君、以前からご一緒したかった井神さん、湯舟さん、小平さんという布陣になり、少なからぬ人たちから「キャストが熱い」とご期待いただくことになった。気づけば皆三十代、すっかり小劇場の中堅なのである。
・酒巻君を希望したのはマキタ君で、最初それを聞いたときは驚き、おそるおそるご本人にメールしたのだったが、結果は快諾だった。最近、風琴工房に笹野鈴々音さんが、花組芝居に佐藤誓さんが出演しているのを観て、かつて在籍していた場所で存分に力を発揮する姿は素敵だと感じていた。古巣でこそないものの、マキタ君と酒巻君、そして江原さんにとってそんな現場になれば良いなと思っていたが、どうだろう、そうなったのではないだろうか。
・台本を書いている最中に小劇場界でもセクハラやストーキングが問題となり、おのずとそれは作品に反映された。こうしたことはパブリックに議論されるべきものであるが、パブリックにされることによって被害者や被害者周辺の人びとを傷つける繊細な問題であり、そうしたことを踏まえずに加害者サイドに性急な対応をもとめたり、小劇場界が「ダンマリを決め込んでいる」と批判する向きに違和感を覚えていた。本作はその意味において自分なりのひとつの回答である。
・マキタカズオミの演出は徹底して具体的で、寺十さんとはまったく異なるアプローチが新鮮で勉強になった。台本に書かれてあることを倍増するような演出にキャストは相当苦労したと思うが、特に女優陣には感謝したい。全身全霊をあげて演じるとはあのことである。
・稽古の段階で中田顕史郎氏は「すごいものが生まれようとしている」と仰っていたのだが、自分は毎度のことながら観客の反応が読めずにいた。蓋を開けてみれば顕史郎さんの言ったとおりで、全日程満席の好評だった。作品そのものから客席の反応までもが議論の対象になった。またすこし人を信じてみようと思った。
・次回は九月、tsumazuki no ishiとの合同公演で、ついにスズナリに参ずる。寺十さんに拙作をただ演出していただくのとはちがい、今回は劇団と劇団の血が交じることを意識しなければならない。スエヒロさんは紛う方なき天才で、その作品の器は巨大、裡に宇宙を秘めていた。スエヒロさんとおなじことはできないが、自分も「宇宙」を書こうと思っている。かつて書いたことのないほど大きな器を志そうと思っている。それ以前に二十人近いキャストをどう捌くかで戦々恐々なのであるが。
・タイトルは『死旗(しにはた)』、これは『苦界浄土』の一節で知った言葉だったが、公演中に石牟礼道子の死が報じられる偶然に出くわし、不思議な気持ちになった。すでに宇宙である。遠く近く、われわれは全ての人びととつながっている。
・ご来場いただいた皆様、あらためてありがとうございました。次回もどうかご期待ください。

(撮影・石澤知絵子)