むかしむかし、蟹の父親は非道な猿のいじめによって殺されました。
蟹は、猿にうらみを持つ臼、栗、蜂とともに猿をおとしいれ、ついにその命を奪いました。
その後の顛末を、ある高名な作家が小説にしていますが、あれは事実ではありません。
蟹一味は全員逮捕され、裁判にかけられました。ここまではほんとうです。
けれど実刑判決がくだったのは、猿を直接圧死させた臼のみで、残りの者たちは情状酌量を受け、執行猶予つきの判決をくだされたのです。
蟹のもとには全国からさまざまな意見が寄せられました。
「猿殺し」「復讐主義」と罵るものもあれば、蟹たちの姿勢を応援するもの、気持ちはわかるが行為は許せないといったものなど、さまざまでした。
一方、のこされた猿の妻が、幼い子どもたちを連れて記者会見し、蟹一味の非道を訴えるという事態も起きました。
同情する者たちもいましたが、「蟹殺し」「卑劣な猿の嫁は死ね」と罵る者も多く、いつしかその姿を見ることもなくなりました。
当の蟹は、ひとり考えていました。自分の復讐を後悔していたのです。
猿の幼子のすがたに、蟹は自分を重ねたのでした。
あれは自分とおなじだ。
ならば、自分も猿とおなじだ、と。
それだけでなく、臼、栗、蜂たちを巻き込んでしまったことにも罪の意識をおぼえていました。
蟹はある宗教に帰依しました。
そして生涯を自分とおなじように悩んでいる人たちのために捧げようと誓いました。
蟹は支援者の元に身を寄せ、講演活動をはじめました。
復讐のむなしさを説くため、蟹は今日も全国をいそがしくまわっています。