日日鵺的(新)

演劇ユニット鵺的と動物自殺倶楽部主宰、脚本家の高木登が年に二、三回綴る日々

花咲か爺さん

むかしむかし、あるところに、ひとりのおじいさんが住んでいました。

おじいさんは一匹の黒犬を飼っていました。

それは犬というには大きすぎ、目は金色に光って、愛らしさよりも禍々しさを感じさせる生きものでしたが、おじいさんはとてもかわいがっていました。

 

黒犬にはただならぬ力がありました。

ひと声吠えると、ガラクタが黄金になり、ゴミがお金に、枯れ木には花が咲き、荒れた土地は肥沃になるのでした。

おじいさんは黒犬の力を借りて財をなし、大金持ちになりました。

まわりの土地を大金で買い上げ、仕事のない人には仕事をあたえ、村を豊かにしました。

村はもはや、まるごとおじいさんのものと言っても過言ではありませんでした。

 

おじいさんの隣には、正直じいさんが住んでいました。

正直じいさんは曲がったことのきらいな人でした。

ある日、正直じいさんは、黒犬がガラクタを黄金に変えているところを見てしまいました。

おじいさんの財産がまがいものであることを知った正直じいさんは、なんとかしてそれを村の人びとに伝えようとしました。

けれど人びとは、おじいさんのおかげで良い暮らしをしていたため、だれも正直じいさんに耳を傾けようとしませんでした。

 

正直じいさんはポチという愛らしい柴犬を飼っていました。

ポチは以前から黒犬を嫌い、見かけるたびにうなり声をあげていました。

思えばポチは黒犬の正体を見抜いていたのだと、正直じいさんはいっそうポチをかわいがりました。

けれど、ポチは黒犬にかみ殺されてしまいました。

正直じいさんは、自分が村人におじいさんのことを言いふらしたため、おじいさんが殺させたのだと悟りました。

正直じいさんは大いに悲しみ、ポチの仇を取ることを誓いました。

 

ある日、おじいさんは村の人びとを招いて、宴会をひらきました。

それは豪勢な宴で、おじいさんも村の人びとも、心からたのしんでいました。

そこへ正直じいさんがやってきました。

正直じいさんはあたりに灰を撒き出しました。

それはポチの遺灰でした。

すると、青空はどんよりと澱んだ空に、みどりの園は荒れ地に、桜の木は枯れ木に、屋敷はあばら屋に、人びとの着ている服はぼろに変わりました。

それが村のほんとうのすがたでした。

 

正直じいさんは、おじいさんにだまされてはいけない、見かけではなく、足もとからコツコツと働いて金を稼ぐのがほんとうの豊かさなのだと、その場にいた人びとに訴えました。

おじいさんはたいそう怒りました。

「人の幸せに水を差すとは、なんと意地悪なじいさんだ。八つ裂きにして犬のエサにしてしまえ」

正直じいさんはとらえられ、その言葉どおり八つ裂きにされ、黒犬のエサになりました。

 

人は貧しく誠実であるよりも、多少不正はあっても豊かであることを望むものです。

正直じいさんに同情する者はありませんでした。

 

満腹になった黒犬は、たのしげに吠えながら荒野を駆けました。

すると村は豊かな土地に変わり、人びとに笑顔がもどりました。

枯れ木にも花が咲きました。

この豊かさは、二度と失われることはありませんでした。

 

おじいさんの家は子々孫々まで栄え、やがては財閥と呼ばれるまでになりました。

そして、国が豊かになることに、大いに貢献しました。

田舎のネズミと都会のネズミ

むかしむかし、ある田舎に、一匹のネズミが住んでいました。

ネズミは土に落ちた大麦や、芋のつるを食べて、つましく暮らしていました。

 

ある日、都会に住むネズミがやって来て言いました。

「そんな食事はもうやめて、いっしょに都会へ来ないか。美味しくて栄養のあるものが山ほど食べられるぞ」

 

田舎のネズミは都会のネズミに連れられて、町へやって来ました。

たしかに見たことのない美味しい食べ物はたくさんありましたが、人につかまりそうになるわ、猫におそわれそうになるわ、車にひかれそうになるわで、まったく生きた心地がしませんでした。

「ここにいたら命がいくつあっても足りない。やはりぼくは田舎へ帰るよ」

田舎のネズミはそう言って地元へもどりましたが、農家の害獣駆除に遭って亡くなりました。

 

このおはなしは、命の危険という点において、田舎も都会もそう大きなちがいはないのだということを、われわれに教えてくれます。

すっぱいブドウ

むかしむかし、あるところに、一匹のキツネが住んでいました。

ある日、キツネは農夫がブドウを収穫しようとしているところに出くわしました。

キツネはブドウについての知恵があったので、そのブドウがまだ収穫する時期にはないことがわかりました。

農夫にそのことを伝えると、彼はとたんに不機嫌になりました。

農夫は若く、未熟者で、キツネからブドウについて教えられることに我慢がならなかったのです。

 

農夫はブドウを指さすキツネを撮影し、その画像とともに以下のつぶやきをTwitterに投稿しました。

 

「近所のキツネwww

 ブドウがまだ熟れてないとか言ってきたwww

 手がとどかないのが面白くなくて言ってるのがミエミエwwwww

 嫉妬wwwwwwwww」

 

ツイートはたちまち拡散され、キツネのもとには誹謗中傷と罵詈雑言が殺到しました。

 

気をよくした農夫はオフ会をひらき、収穫したブドウを参加者にふるまいました。

ブドウはすっぱくて、食べられたものではありませんでした。

誰もがキツネが正しかったのだと悟りましたが、人びとは自分の非を認めたくなくて、「あまい」「おいしい」「こんなにうまいブドウは食べたことがない」と白々しくつぶやくか、気まずげに沈黙するしかありませんでした。

 

そんななかにも、心ある人たちはいました。

かれらはブドウがすっぱくて食べるに値しなかったこと、キツネが正しく、農夫がまちがっていたことを投稿し、それにつづく人が次々にあらわれました。

専門家は農夫の投稿した画像を分析し、ブドウが収穫する時期になかったことを証明してくれました。

 

キツネの名誉は、おおよそ回復されました。

あくまでもまちがいを認めない人や、ろくに事情を知らない人から、その後もひどいリプライがくることがありましたが、逆に彼らが「情弱」と笑いものになるだけでした。

 

農夫は自分を糾弾してくるアカウントをことごとくブロックして対抗しましたが、やがて鍵アカになり、ついにはアカウントを削除して逃亡してしまいました。

白雪姫

むかしむかし、ある国に、嫉妬深い王妃が住んでいました。

王妃は国王の後妻で、亡くなった前妻とのあいだにうまれた白雪姫を憎んでいました。

王妃は真実を語る鏡にたずねました。

「この国でいちばんうつくしいのは誰だ?」

王妃はけっしてうつくしくなくはなかったものの、白雪姫ほどではありませんでした。

鏡は気をつかって「それはあなたです」と答えました。

「ほんとうか? 白雪姫がいちばんではないのか?」

「ほんとうです。あなたがいちばんです」

王妃は、鏡の言葉に白々しさを感じましたが、とりあえず納得しておきました。

 

後日、別の王族が、

「この国でいちばんうつくしいのは誰?」

と鏡にたずねました。

鏡は気をつかって「それはあなたです」と答えました。

 

さらに後日、また別の王族が、

「この国でいちばんうつくしいのは誰?」

と鏡にたずねました。

鏡は気をつかって「それはあなたです」と答えました。

 

皆に調子の良いことを言っているのに気づいた王妃と王族たちは、

「ごまかすな。ほんとうのことを言ってみよ」

と鏡を責めました。

鏡は「あんなに気をつかってやったのに、なんだ」とすねてしまい、口をきかなくなってしまいました。

怒った王妃は鏡をこわすことにしました。

くだかれる瞬間、鏡の絶叫が響きました。それは、誰も聞いたことのない、心からの、嘘いつわりのない、ほんとうの鏡の叫びでした。

 

鏡をうしなった王妃は、前にも増して猜疑心と嫉妬心が強くなりました。

白雪姫は奴隷のようにこき使われ、若くして失意のうちに亡くなりました。

王妃は白雪姫よりも長く生きましたが、認知症を患い、晩年は寝たきりで、口もきけぬままに亡くなりました。

 

鏡がもっと素直で正直であったなら、ふたりともちがう人生がひらけたろうに、まったく気の毒なことです。

猿蟹合戦

むかしむかし、蟹の父親は非道な猿のいじめによって殺されました。

蟹は、猿にうらみを持つ臼、栗、蜂とともに猿をおとしいれ、ついにその命を奪いました。

 

その後の顛末を、ある高名な作家が小説にしていますが、あれは事実ではありません。

 

蟹一味は全員逮捕され、裁判にかけられました。ここまではほんとうです。

けれど実刑判決がくだったのは、猿を直接圧死させた臼のみで、残りの者たちは情状酌量を受け、執行猶予つきの判決をくだされたのです。

 

蟹のもとには全国からさまざまな意見が寄せられました。

「猿殺し」「復讐主義」と罵るものもあれば、蟹たちの姿勢を応援するもの、気持ちはわかるが行為は許せないといったものなど、さまざまでした。

 

一方、のこされた猿の妻が、幼い子どもたちを連れて記者会見し、蟹一味の非道を訴えるという事態も起きました。

同情する者たちもいましたが、「蟹殺し」「卑劣な猿の嫁は死ね」と罵る者も多く、いつしかその姿を見ることもなくなりました。

 

当の蟹は、ひとり考えていました。自分の復讐を後悔していたのです。

猿の幼子のすがたに、蟹は自分を重ねたのでした。

あれは自分とおなじだ。

ならば、自分も猿とおなじだ、と。

それだけでなく、臼、栗、蜂たちを巻き込んでしまったことにも罪の意識をおぼえていました。

 

蟹はある宗教に帰依しました。

そして生涯を自分とおなじように悩んでいる人たちのために捧げようと誓いました。

蟹は支援者の元に身を寄せ、講演活動をはじめました。

復讐のむなしさを説くため、蟹は今日も全国をいそがしくまわっています。